うつ病の克服について ①「学生時代の憂鬱」

現在30代半ば。東京都在住。20代のころにうつ病、対人恐怖症の症状が現れ、「死にたい」「入ってくる電車に飛び込みたい」「人と話すと震えや異常な緊張が出てうまく話せない」といった状況が2~3年程度続きました。現在は完治していますが、症状が和らいでも数年間は完治したという実感はなく、再発するんではないかといった恐怖感は続きました。

学生時代の憂鬱な気分から、うつ病の発症、症状の緩和~完治に至るまでは10年程度かかりました。学生時代からの憂鬱な気分が4年程度続き、一番ひどい時期が3年。緩やかな症状回復期が3年。という感じです。

 

学生時代の憂鬱な気分はこんな風だったと記憶しています。

 

・他人の目が気になる。

・周りが浮かれていることや流行しているものを良しとする生ぬるい安堵感に対する嫌悪。

・周りから浮いている自己と溶け込めない事に対する矛盾した感情。

・信頼できる人が少なく、人や自分に対しての不信感。

・自分自身を理解してくれる人はいなく、哲学書や欧米の文学だけが心の救いと感じていた。

・夢に対して一生懸命に過ごす日々と、他人の才能と自分の才能を比較し、自信を無くす日々。

アウトサイダー、ニッチな世界、フェティッシュ、アングラ等の世界にのめり込み、過激な表現に共感を得ていた。

 

将来成功して富と名声を得たいという夢をもって、毎日を突き進んでいました。将来お金持ちになったら幸せになれる、名声を得たら幸せになれると思っており、その時に幸せを感じずに生きていました。

 

また、常に「自分のため」になる選択肢を選び、「人のため」ということは考えていませんでした。

 

僕自身がうつ病を克服できた要因は、この2つの思考を矯正したことがとても重要になっています。

 

・今現在に幸せを感じて感謝すること

・かならず「人のため」になる選択肢を選ぶこと

 

こういうと宗教的な要素を感じますが、宗教にのめり込むのではなく、宗教的な考え方の良い点を利用する程度でいいと思っています。

日本人が持つ宗教に対するイメージとして、オウム真理教イスラム教の過激組織などのイメージが先行するため、「宗教」という単語自体に嫌悪感があると思います。

僕自身は無宗教ですが、生き方の哲学としてとても影響を受けている考え方があります。どの宗教も目指している頂上は同じことを言っていて、山のてっぺんを目指していることに違いはなく、どの山道を登って頂上にたどり着くかが宗教の違いだと思います。キリスト教の山道がしっくり来る人、イスラム教の山道がしっくりくる人の違いが宗教の違いであって、頂上ではどの宗教も同じことを言っています。様々な宗教を学び、しっくりくる山道を選べればそれでいいと思います。

 

僕のうつ病克服事例は一例ですが、克服するために宗教的な考え方を利用しています。宗教を勧めたいのではなく、本当に苦しい日々をどうやって抜け出せるのか必死で考えている人たちに、この方法で治ったという一例として読んでもらえたらと思っています。