うつ病の克服について ⑤「克服~完治」

「自分のため」にやってきた全てのことが「うつ病」に繋がり、東日本大震災を経て、自分がしてきたことが誰の役にも立たなかったことを認識したタイミングで、中村天風氏の「運命を拓く」という本に出会い、「人のため」という判断基準を得ることができました。

 

人生は日々、Y字路の選択肢があります。

「自分のため」を選んでいるときは、悩み、苦しみ、全てが自分に跳ね返ってくるのに対し、「人のため」を選ぶと、絶対に正しい決断だという自信が持てます。というよりも、人のためにやっているのに間違うわけがないということを理解しているため、やり直しは発生せず、常に前に向かって前進します。もしも立ち止まる必要性が生じたとしても、それは判断が間違っていたのではなく、状況が微妙に変化したからであり、後ろ向きな行動ではなく、状況変化に対応しているだけの状態になります。また、決断自体が自分の判断というよりも、正しい方を選ぶだけの状態であり、自分が決めたことというよりも、決められている正解を選んだだけ、という感覚です。

 

「人のため」という判断基準が出来てからは、立ち止まることが一切なくなり、間違った判断をしてしまったという後悔は一度もありません。前に向かうための反省はありますが、間違えではなく、経験になり蓄積されています。

 

派遣社員をしていた時は、「こんなに頑張っているのに給与が上がらない」という不満がありました。しかしこの時は、何に対して行動していたというよりも、ただ自分自身の利益不利益のみを勘定にいれて行動していただけであり、その行動は「会社のため」「事業を通してつながる人のため」には繋がっていませんでした。ただただ近視眼的に目の前の状況が自分の利益になってほしいという事しか考えていませんでした。

 

この本に出会い、実践し、不安があれば再度読み直す、ということを繰り返し、「人のため」という判断基準を得たことで、自分の信念・人生哲学が出来上がりました。

 

しかし、この時点でもまだうつ病の症状や不安感はぬぐい切れていませんでした。

 

考え方に対する絶対的な自信はあっても、再度社会に出ることへの恐怖心はあり、また挙動不審になってしまうのではないか、人とうまく話せないのではないか、うつ病が再発してしまうのではないかという不安がありました。

 

休養生活に入って1年半後くらいに、職業訓練校に通いました。少しずつ回復している実感が持て、しかし急には社会復帰できるような状況ではなかったため、3か月の訓練校に毎日通い、その中で少しずつ自信を取り戻し始めました。

人と話すことが出来なくなっていた対人恐怖症時期を乗り越え、人と普通に話し、最終的には人前でのプレゼンができたことは大きな自信につながりました。また、他人と比較し、自分の個性をコンプレックスや経歴、強みや特性を含めて理解できたことも大きな自信に繋がりました。

 

現在は、社会復帰して6年程度が経ちました。就職前に、自分の個性を生かして「人のため」に貢献できる3つの目標を立て、平社員からスタートし、現在は経営者として働いています。

忙しすぎて愚痴ることもありますが、日々感謝し幸せに暮らしています。

また、うつ病になったことで自分の体力の限界が分かり、ぎりぎりのところで休息出来るようになりました。

 

学生時代に抱いていた夢の実現はできませんでしたが、夢を叶えることが幸せになれる方法ではなく、叶っても叶わなくても、今が幸せであることの方が重要です。あなたの個性はかならず生きる場所があります。やりたいことが向いていないこともあります。僕自身夢は叶いませんでしたが、「人のため」という判断を積み重ねた結果、とても幸福です。逆に、思い描いていた夢は、自分に向いてないということを理解しているため、夢が叶ったとしても苦しんだだろうと思います。

 

もともとうつ病が完治したら、どうやって治ったかをブログにしようと思っていましたが、文章にするとすごくコンパクトにまとまってしまいました。実際にうつ病は苦しく何年も続いていたにも関わらず、原因と解決方法はすごく単純です。

 

僕の友達はうつ病の症状がひどく、家族が強制入院をさせて、その後薬を飲みながら元に戻りました。僕は自分を治した方法を伝えましたが、友達には伝わらず、別の方法で治っていたので、僕の方法は一つの事例にすぎません。

ただし、僕もうつ病の時、どうにか治す方法はないかと思い、藁にも縋る思いでネットを検索しました。だから検索に引っかかって、少しの参考になれば幸いです。

実際に完治するまでのショートカットはありません。日々少しずつ良くなっていくことを祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつ病の克服について ④「回復期」

東日本大震災を経て、自分の努力が誰の役にも立っていなかったことを実感しました。

 

僕がうつ病になるまでは、将来成功し、お金持ちになって名声を得ることができたら幸せになれる。という風に考えていました。しかし、夢をかなえる過程で幸せを全く感じず、むしろすべての選択肢が自分に跳ね返ってくる苦痛を感じていました。

 

人生の選択肢は常にY字路に分かれます。「自分のため」「人のため」という二つの選択肢がある中で、僕は常に「自分のため」という判断基準で行動していました。

しかし、「自分のため」に決めた選択は自信が持てず、行動している最中も「この判断でよかったんだろうか」という不安が常に付きまとっていました。そのため、なんとなく間違っていると感じたら躊躇し、悩み、行動が中途半端になり、また決断した位置に戻り、再度検討を繰り返すといった行動を繰り返していました。寝る時間を惜しんで行動しても、決断自体をやり直さなければならず、そこに費やしたエネルギーや後悔、反発は全て自分に跳ね返ってくることがとても辛かったと記憶しています。

優柔不断な上司の判断で、何日もかけて努力した行動した結果、根底から覆される状況を自分自身の中で作り出していました。行動した部下も自分であり、部下からの反発を感じる上司も自分であることの辛さが精神をおかしくしていったと思います。

 

これらは全て「自分のため」という判断基準がもたらした結果です。

 

「自分のため」という判断基準がもたらした結果と、東日本大震災で誰の役にも役立ってこなかった自分の事業を認識した時に、中村天風氏の「運命を拓く」という本に出合っています。

 

学生時代に哲学や精神分析などの本を読み、うつ病克服に向けた模索の日々にも禅や悟りについての本を読んでいますが、たまたま手にとったこの本を読んだ瞬間、この本で全てが解決すると感じました。山の頂上に向かうための、しっくりくる山道が見つかったという気がしました。

 

それまでは、禅であれば禅について書かれた本をくまなく読んで理解するというようなことをしていましたが、中村天風氏についてはこの本以外を読んでいません。この本を何度も読み返し、実践し、知識ではなく体感することでうつ病を克服しました。

 

この本は、宗教的な本です。

時代が違うため、話し言葉も堅苦しく感じます。

ただし、中村天風氏自身が死の病にかかり、病気を克服したのち、「人のために」私欲をすて行動した結果であり、その本によって僕はうつ病を克服し、また、その後の人生が楽になりました。

僕はこの本がしっくりきましたが、人によっては別のものでもいいと思います。知識として理解するだけでなく、体感できるまできちんと実践したいと思えるものに出会えることの方が重要です。

 

 

 

 

 

うつ病の克服について ③「休養~東日本大震災」

身体的・精神的な症状が限界に達し、会社を辞め、自身の事業に専念することにしましたが、結果、自身の事業もほとんど継続ができず、事業処理をしながら2年間休養生活を送りました。

 

毎日外に出なくて良くなり、心臓がどきどきしたり、人と会わないことで挙動不審な自分に対する嫌悪感を感じることが減りましたが、まだ異常な状態は変わらず、自分自身によさそうなことを模索する日々が続きました。

 

この模索の日々で、実際に効果があったのではないだろうかということは、

・食生活の改善。バランスの良い食事を作ること。

・毎日部屋を掃除し、床の雑巾がけや壁を拭いたり、玄関のドアやトイレの隅々まで掃除すること。

・規則正しい生活。起床時間、睡眠時間を整えること。

・嫌悪感を感じる行動を減らすこと。(オナニーなど)

だったと思います。

 

今振り返っても、これらの行動で身体的な不調が良くならないわけがないという気がしますが、精神的な不調からくる身体的不調(うつ病)は治りませんでした。

 

この間に東日本大震災が起きています。

 

休養生活に入ってから1年程度経ち、だいぶ外出もできるようになったころに、都内の電車の中で東日本大震災を体験しました。線路で止まった電車から近くの駅まで歩き、駅に着いたときに、津波が押し寄せ、家々をなぎ倒し、走っている車に追いつこうとする映像が映っていました。現実とは思えない状況が画面に映し出され、大きなショックを受けました。

 

テレビがない生活をしていたため、震災後の数日間ネットで映像を見ていると理由はよくわかりませんが涙が出てきました。その後に震災支援に行こうかとも考えましたが、勇気がなく、何もできないこと、自分の無力さを感じました。

 

そして、今までやってきたことが何の役にも立たないことを感じました。自分の事業が震災の役に立つ可能性を考えても、まったく役に立たない。数人の顧客は満足してもらっていたかもしれないが、この事業を通して誰の役にも立っていないことを実感しました。

 

夢に向かって一生懸命に、睡眠時間を惜しんで試行錯誤してきた日々は、誰の役にも立たない、自己満足のためにやってきたことだったんだ。と正しく認識できたことは、うつ病の克服に向かう土台になってます。

 

うつ病の克服について ②「うつ病の発症に至るまで」

学校卒業後は自分の夢に向かってとにかく働き続けました。将来成功し、お金持ちになって名声を得るという目標を持ち、夜勤の派遣社員をしながら、昼間は自分の事業のために寝る時間を惜しんで働きました。

1日4時間程度の睡眠、週に1回は寝る時間が取れないこともあるような生活を2年程度続けた頃に、毎日の頭痛がひどく痛み止めを飲み、寝ても疲れが取れないという身体的な症状が出始めました。最後は毎日の頭痛と吐き気、食欲がなく、ほとんど食事が出来ない状態になりました。

 

初めての社会人生活と自分の事業を立ち上げ、夢に向かうエネルギーで躁状態にあり、野心に燃え、不安や疲れがあっても、この苦しい日々を乗り越えたら富と名声を得れると信じて頑張りました。

しかし、身体的な不調が続くようになり、体が思うように動かなくなり始め、また、気のおける仲間と一緒にいても、目を見て話せない、緊張して体や頭が震えてくるといった症状が出始めました。明らかに挙動不審になり、電車に乗ったり、人と話すことがとても怖くなりました。また、自分がこのような状況になっていることも認めたくなく、誰にも相談できず、人との食事もお酒で挙動をごまかすなどしていました。

 

身体的な不調から、精神的な不調も加わり、夢はかなわないのではないか、人と話すときょどってしまうため誰にも会いたくないというような、不安やマイナスなことで頭がいっぱいになり、自殺願望が出始めました。「この電車に飛び込めば楽になれる」ということを毎日、電車が来るたびに考えていました。電車に乗っても、人の目が気になり、下を向いて音楽を聴いて、心臓がどきどきし、冷や汗がでるような状態で1年程度を過ごしました。

 

この時期は一番ひどい時期で、もうだめだと思い、派遣社員をやめ自分の事業に専念することにしました。この決心も簡単についたわけではなく、会社の対応や給与に不満があって辞めるという、別のきっかけがありました。このタイミングで辞めれたため、自殺せずに済んだと思います。もう少し悪化していたらたぶん生きていないと思います。

 

 

 

 

 

 

うつ病の克服について ①「学生時代の憂鬱」

現在30代半ば。東京都在住。20代のころにうつ病、対人恐怖症の症状が現れ、「死にたい」「入ってくる電車に飛び込みたい」「人と話すと震えや異常な緊張が出てうまく話せない」といった状況が2~3年程度続きました。現在は完治していますが、症状が和らいでも数年間は完治したという実感はなく、再発するんではないかといった恐怖感は続きました。

学生時代の憂鬱な気分から、うつ病の発症、症状の緩和~完治に至るまでは10年程度かかりました。学生時代からの憂鬱な気分が4年程度続き、一番ひどい時期が3年。緩やかな症状回復期が3年。という感じです。

 

学生時代の憂鬱な気分はこんな風だったと記憶しています。

 

・他人の目が気になる。

・周りが浮かれていることや流行しているものを良しとする生ぬるい安堵感に対する嫌悪。

・周りから浮いている自己と溶け込めない事に対する矛盾した感情。

・信頼できる人が少なく、人や自分に対しての不信感。

・自分自身を理解してくれる人はいなく、哲学書や欧米の文学だけが心の救いと感じていた。

・夢に対して一生懸命に過ごす日々と、他人の才能と自分の才能を比較し、自信を無くす日々。

アウトサイダー、ニッチな世界、フェティッシュ、アングラ等の世界にのめり込み、過激な表現に共感を得ていた。

 

将来成功して富と名声を得たいという夢をもって、毎日を突き進んでいました。将来お金持ちになったら幸せになれる、名声を得たら幸せになれると思っており、その時に幸せを感じずに生きていました。

 

また、常に「自分のため」になる選択肢を選び、「人のため」ということは考えていませんでした。

 

僕自身がうつ病を克服できた要因は、この2つの思考を矯正したことがとても重要になっています。

 

・今現在に幸せを感じて感謝すること

・かならず「人のため」になる選択肢を選ぶこと

 

こういうと宗教的な要素を感じますが、宗教にのめり込むのではなく、宗教的な考え方の良い点を利用する程度でいいと思っています。

日本人が持つ宗教に対するイメージとして、オウム真理教イスラム教の過激組織などのイメージが先行するため、「宗教」という単語自体に嫌悪感があると思います。

僕自身は無宗教ですが、生き方の哲学としてとても影響を受けている考え方があります。どの宗教も目指している頂上は同じことを言っていて、山のてっぺんを目指していることに違いはなく、どの山道を登って頂上にたどり着くかが宗教の違いだと思います。キリスト教の山道がしっくり来る人、イスラム教の山道がしっくりくる人の違いが宗教の違いであって、頂上ではどの宗教も同じことを言っています。様々な宗教を学び、しっくりくる山道を選べればそれでいいと思います。

 

僕のうつ病克服事例は一例ですが、克服するために宗教的な考え方を利用しています。宗教を勧めたいのではなく、本当に苦しい日々をどうやって抜け出せるのか必死で考えている人たちに、この方法で治ったという一例として読んでもらえたらと思っています。

 

 

 

 

はじめに

コンプレックスやうつ病を乗り越えれたのは、苦しみの最中に「もしも克服することができたら、今苦しんでいる人たちに向けて、どうやって克服したのかを伝えよう」という目標を持っていたからだと思います。

人によって克服できる方法は違うと思いますが、少なくとも僕に似た考え方の人にとっては同じような効果があるかもしれない、少しでも克服できる可能性に繋がるかもしれない、と思い記録として残します。

 

18歳の時に田舎から東京に移り住み、3年間専門学校に通いました。それまで殆ど悩みのなかった自分が、学生時代にすでに憂鬱な気分になり、卒業後1年間のワーキングホリデーで英語の習得、帰国後に派遣社員をしながら個人事業の立ち上げ、23~26歳くらいまで猛烈に働く最中にうつ病、対人恐怖症になり、2年の休養~再就職を経て病気の克服に至る、というのが簡単な経歴です。

 

自分自身うつ病ということを認めたくなかったため病院には行かず、精神剤などの薬を飲まずに克服しました。もちろん薬を飲まないことを勧めたいのではなく、行動に異常があれば自分や家族の判断で通院したほうがいいと思います。

 

一番ひどかったのは猛烈に働いていた時期で、夜勤の仕事をしながら、帰宅後に自分の事業のために働き、睡眠がとれても4時間程度、寝る時間がないくらいに働く、ということを2年間休みなく続けた後に、毎日頭痛がひどく薬を飲む日々、寝ても全く疲れが取れない日々が続き、「死にたい」「ホームに入ってくる電車に飛び込みたい」「人と話すと異常な緊張で震えやどもり、それを隠すために話を中途半端に終わらせる」といった症状が出始めました。

 

今現在完全に克服しているつもりですが、思い出しながら書いていると体が緊張してくるのを感じます。負の記憶としてずっと残り続けるのかもしれませんが、乗り越えたからこそ見えた世界があるため、決して後悔や負の遺産だとは思わず、今に繋がる大切な時間だったと感じています。

 

うつ病についてが一番長くなると思いますが、下記のようなコンプレックスもあり、今となってはどうでもいいことを真剣に悩んでいたんだなあと思えますが、悩んでいる最中は真剣に苦しんでいたことを覚えています。

 

コンプレックス

・将来ハゲるのではないかという家系的な悩み(フケ性、髪の量が少ない、分け目が目立つ等)

脂漏性皮膚炎で顔の赤らみやかゆみの症状(アレルギー体質で、猫やハウスダストに反応、風呂上がりに体が赤らみ、かゆみがあり、特に顔の赤らみが目立つ等)

・いんきんたむし(股のかゆみ、皮膚疾患)

顎関節症(かみ合わせが悪く、顎のゆがみ、左右非対称の顔)

・変態的な性欲(これに関しては直しようがないため、人に迷惑をかけない・犯罪行為に走らない自制と、前向きに個性と認めるしかない)

 

これら全てを通して「個性」だと思います。これらを通さなければ見えない世界があります。その世界からしか見えない発想が他人との差であり個性になります。その個性をどう生かすかがポイントであり、個性となる要素をコンプレックスと認識するか、世界を見渡すフィルターと認識するかによって大きな差が生まれます。悩んだ末に自分自身の個性を認めることができるようになることを願っています。